「自分さえよければ良い」ですか?満員電車にて。

考えたこと
Photo by ZSun Fu       

現在、私は東京の郊外に住んでいる。

職場は都内中心部にあるので、出社の日は満員電車に揺られて通勤している。

 

今朝も最寄り駅からいつも通りの満員電車に乗った。

私の乗った電車は、乗り換え駅のターミナル駅まで途中駅が1つある。

 

事が起こったのはその途中駅でのことだった。

途中駅で降りる方大きな人の波が、出口に向かって流れだした。

私はその波にのまれざるをえなかった。

 

私の2人ぐらい前に立っていたある女性の方も

大きな人の流れに飲まれていった。

 

その流れがすさまじく、その女性はホームで転んでしまったのだった。

打ちどころが悪かったのか、痛そうな面持ちで立ち上がるのが辛そうだった。

 

私はとっさに「大丈夫ですか?」と声をかけた。

 

結局何の手助けも必要とせず、その女性は再び電車に乗り込んでいった。

私のように押し出された人、途中駅のホームで乗車を待っていた人も再び乗り込み、

電車はいつものように途中駅を出発した。

 

私はこの一連の出来事に驚き、無念さを抱いてしまった。

なぜなら、困っている人・大変な人が目の前にいるのに、

あたかもその人が存在しないというようなような様子で、

もしくはあえてその状況を見ずに何もせず佇んでいる人が

自分の目の前にたくさんいたからである。

 

補足しておくと、確かに人は多かったが、

混雑のせいで事の状況が見えないといった状況ではなかった。

その周辺にいた人なら、目にできたはずである。

 

「声をかけた私凄いでしょ」ってことを言いたいわけじゃない。

 

大変そうな人には手を差し出す・貸す・声をかけるといった

思いやりや共に助けあう心がこれほどまでに薄い国だったろうか。日本は。

東京だからなのか?

どっちにしろ、とても残念で悔しい気持ちになった。

 

そして「自分さえよければ良い」といった姿勢が

この国にはびこっているのではと、強い危機感を覚えた。