こんにちは!篤影です。
時間がたってしまいましたが、
去る2022年の年末に、
かねてより念願だった沖縄に
初めて訪問しました。
最初にお断りしておくと、
これは旅行記事ではありません。
沖縄に残る戦跡を巡り、感じたことをまとめています。
少し長たらしいかもしれないですが、
自分の記憶の整理も兼ねていますのでご了承ください、
1.沖縄に行って良かった!
長くなりそうなので最初に旅の感想を。
タイトル通り「行って良かった!」です。
これは、リラックスできた満足感もありますが、
それ以上に、自分がこの旅に求めていたこと、
(例えば”先の大戦について学ぶ””米軍基地を実際に見る”など)
現地だからこそ得られたことが沢山あり、
その満足感がとても高かった結果かなと思っています。
2.わたしが沖縄を訪れるまで
①私の「沖縄といえば・・・」
小さい頃、祖父母から戦時下の話をよく聞いていた私。
沖縄といえば「リゾート」というよりは
「戦地」としてのイメージがありました。
また、小さい頃から新聞やニュースをよく見ていたので、
「基地問題」がある場所として、
なんとなく認識していました。
②好タイミングが重なって
沖縄に行くまで、時間と費用が捻出できない日々が長く続きました。
昨今はコロナ禍もありましたしね。
私の2022年の年末に、
・新型コロナが少し落ち着き始めた
・有給休暇をまとめて確保できそうになった
・お金の都合がつきそうになった
という状況になりました。
年末年始より少し前の時期は、沖縄のシーズンオフ。
つまり「安い&すいている」という状況。
この好タイミングが自分の背中を押し、
意を決して沖縄に旅することにしました。
③祖父の思いも連れて。
先に記載の通り、私は小さい頃、
祖父母から、戦時下の話をよく聞いていました。
祖父母が住んでいたのは田畑が広がる田舎。
近くにあった軍の飛行場が標的とされ、
米軍機が押し寄せました。
機銃によって亡くなる方もいたとのこと。
祖父は先の大戦への思いが色々とあったようで、
・ゼロ戦や特攻隊の資料館に行きたい
・戦艦の資料館に行きたい
など、よく話していました。
祖父は、その願いを叶えることなく、
数年前に亡くなってしまいました。
このように、戦争の話を様々インプットしていたので、
私の心の中では、
「いつか沖縄で慰霊ができたら」
と思っていました。
そして今回、代わりといってはなんですが、
「亡くなった祖父の思いも一緒に」
という気持ちで、沖縄を訪れました。
3.沖縄での行程
①旅のテーマは「慰めの旅」
今回の旅テーマは「慰めの旅」です。
これは、今まで突っ走ってきた自分をねぎらう
「慰安旅行」としての側面と、
先の大戦での戦火を学び、
「先人を慰霊する」という側面がありました。
大人の社会科見学?ひとり修学旅行的な感じでしょうか?
②訪れたところ(ピックアップ)
- 平和祈念公園・摩文仁の丘
- ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館
- 喜屋武岬
- 普天間基地 付近
- キャンプシュワブ 付近
- 嘉手納基地 付近
- 米軍上陸の地
- 海軍司令部壕跡
4.「平和」とは。
この章の1~4の大部分は、
現地で書いたメモからもってきました。
つたない所や私の勉強不足により、
お見苦しい所が多々あるかと思います。
しかし、このメモを見返すと
書いた時の自分の感情を思い出すことができる
という私の都合により、
恥ずかしながら、ほぼそのまま掲載させていただきます。
①平和記念公園にて
平和祈念公園の資料館が閉館中だったのは残念ではあったが、
そのかわり、霊域エリアや司令部壕(摩文仁の丘)を
めぐることができて良かった。
実際に平和の礎を目の前にしたときは、
なにか圧倒されるものがあった。
全国・世界各地の方の一人一人の名前が刻まれていて、
沖縄戦の惨禍の大きさがずっしりと伝わってきた。
なぜ、これほどまでの人が亡くならければならなかったのか。
亡くなった方は、どんな思いを持っていたのだろうか。
こんな急峻な岩陰の壕の中で、
最後の最後まで残り、自決した指令隊は、
どのような気持ちであったのだろうか。
※補足
私がちょうど平和祈念公園を訪れた頃、
公園内にある資料館が改装中のため閉館していました(泣)
②戦争って何のため?
戦争は、なんのためにやるのだろうか。
為政者のプライド・メンツを守るためだけではないのか。
たった一人の意向でこんな悲劇が生まれてしまうのだろうか。
③惨禍を繰り返さないために
昔の出来事に思いを馳せた。
これだけの被害を出し、
戦争はいかにむごたらしいものなのか、
人類は分かったはずだ。
なのに、いまは
「融通が利かない国を相手には、
武力で国を守るしかないでしょう」だとか、
「防衛力が大事だ」とか言って、
反撃能力を持とうとしている。
あまりに安易すぎやしないだろうか。
日本はもっぱら自衛の国のはずなので、
防衛力を増強するのは必要なことではあると思う。
けれど、どうも武力の話になると、
一足飛びで話が進んでいるように見えてならない。
武力の前に、武力以外で国を成り立たせようとする、
関係を構築する努力、
その他の方法の探索努力はどこへ行った?
武力行使の前には、外交努力があるはずで、
たとえ最終手段であっても、
戦争は避けるべきではないのか。
国の指導者の意向で、
簡単に軍事行動に出てしまう昨今の世界情勢ではあるが、
やはり戦争は起こさないための不断の努力をすべきだなと。
④日本という国を
また、
「今の日本になっているのは、
上の世代が何もしなかったからだ」
とつい思ってしまいがちではあるが、
今の自分にできること、
後世に日本を残すために、
私は何か行っているのだろうか。
昨今、
「自分ができることに集中し、
影響の範囲外のことは悩まないほうがよい」
とはいうけれど、
国のことを考えないというか、
政治のことについても何も考えないのは
違うなと思った。
いまは昔と違って自分で情報を受け取ることができる。
沢山の情報の中、ゴミも確かにあるだろうけど、
「いま自分は何を考えているのか」という
自分のスタンスについては
考えるべきなんじゃないかな。
平和ボケって、
「自分のことしか考えない」
って事なのかもしれないな。
普段過ごしているとどうしてもそうなりがちですが。
5.「基地問題」に目を向けて
那覇空港に着陸をし、
スポットに待機している戦闘機が見えました。
民間との共用空港とはいえ、
少し異様さを感じたのを覚えています。
米軍基地の近くを通り過ぎるなり、
遠目で見たことを通して、
以下が印象に残りました。
①埋め立て反対運動と厳重警戒 トラック多し
辺野古エリアの埋め立ての状況を見たくて、
車を走らせました。
結局見ることはできませんでしたが、
キャンプシュワブ周辺の光景が異様でした。
その頃、日が暮れた後の夜に到着したのですが、
「土砂の搬入口」と思われる周辺に
警備員(工事関係者には見えない)が等間隔に、
そして結構な人数の方が立っていました。
当初、「もう暗いのに何してんやろ?」と思っていましたが、
後々になって、基地関係の警備だったんだろうと理解しました。
今回、県北部の本部へ行く旅程がありました。
その国道の途中では土砂の採掘現場があり、
そこからは多数のトラックが出入りしていました。
また、どうやらこの土砂は船で辺野古へ運ばれているらしく、
ふ頭の入り口には、ダンプの渋滞、多数の警備員、
そして基地建設反対運動をされている方がおりました。
これが現実。
ニュースや新聞には載らないであろう、
光景が焼き付いています。
②戦闘機の轟音と住宅地との近さ
ものすごい音でした。
そして、想像よりも基地エリアと
生活エリアは近くにありました。
訪問先の1つ「米軍上陸の地」で、
遠目に嘉手納基地を眺めていました。
眼前に広がる穏やかな沖縄の蒼い海。
そこで低空飛行後、急上昇する訓練を繰り返す戦闘機…
基地は少し離れていたとはいえ、
やはり戦闘機はとてつもない音でした。
また、近くの住宅は防音対策しているだろうけど、
これ毎日はさすがにキツイんじゃないかな。。。
と思いました。
驚きを隠せませんでした。
6.まとめ
こんなにも自分の意識が変わる旅も珍しいです。
ほったらかしでは平和はやってこない。
いち日本国民として何ができるだろうか。
今回の旅を通じて伸びたアンテナを大切にし、
人任せにしない人生を歩みたいものです。
ではまた!
(平和について考えると銘打ちながら、
それほどまとめきれませんでした。
スミマセン…)